まちづくり三法から立地適正化計画までの中心市街地再生を巡る動向

2019年3月号

大阪大学 澤木昌典

日本現代都市の死と生

 新雅史著『商店街はなぜ滅びるのか』(平成24年・光文社新書)によれば、今日私たちの言う「商店街」は第1次世界大戦後に都市に零細小売商が急増したことが成立の発端である。「多くの人々が農業をやめて都市に出てきたが、彼らを吸収するほどには都市には雇用がなかった。だからこそ、多くの離農者が商売を営んだわけだ。」(同書p.53)。その後、協同組合・百貨店・公設市場の要素を取り入れ生活共同体としての商店街が成立したという。「平成」は、この商店街を中核とする中心市街地が、モータリゼーションによる郊外化と流通革命によって疲弊・衰退し、都市構造に大きな変革を生じた時代である。中心市街地活性化、都市再生が重要課題となり、タワーマンション建設などによる都心回帰が起こっているが、さらに人口減少時代にあって都市の在り方が改めて問い直されている。正にわが国の都市の死と生が論じられるべき時代と言える。

 これらの問題は、わが国全体で起こっている構造的問題である。そのため、本稿では全国の流れを追いつつ、関西に言及するという記述方法を採る。以下、時代の流れに沿って「平成」という時代を振り返ってみる。

大店法改正前夜

 商店街の衰退は「平成」以前からの課題であった。衰退の原因の一つは、流通革命により台頭した大規模小売店舗(百貨店や総合スーパー[GMS])との競合である。そのため、昭和48年には「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大店法)』が制定され、大型店の出店を調整するしくみが作られた。しかし、平成に入って間もない平成2年の日米構造協議において、大店法は非関税障壁であり廃止すべきとの要求がアメリカから出された。同法は翌3年に改正され、出店調整のしくみであった商業活動調整協議会が廃止されたことにより、各地で大規模なショッピングセンターの出店が進んだ。この時期、関西では昭和60年にグンゼ尼崎工場の跡地に「つかしん」がオープンしている。産業構造の転換による工場跡地などの大規模遊休地の発生も大規模ショッピングセンターの立地を促進した。

 商店街を衰退させたもう一つの原因が、モータリゼーションと郊外化の進展により1970年代から見られ始めた郊外幹線道路沿道でのロードサイド店舗の増加である。平成に入りバブル経済が崩壊すると、土地神話の崩壊・地価の下落が起こり、郊外のロードサイドにはコンビニエンスストア、量販店、ホームセンター等、さらに多種・多数の店舗が立地していった。

まちづくり三法

 大店法はその後WTO協定違反との疑いも出て平成12年には廃止され、代わって『大規模小売店舗立地法』(大店立地法)が制定される。それに先立つ平成10年の都市計画法の改正と『中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律』((旧)中活法)の施行は総称して「まちづくり三法」と呼ばれ、中心市街地活性化のてこ入れが目論まれた。

 改正都市計画法では、市町村が大型店の立地を制限する必要があると判断すれば、特別用途地区や特別用途制限地域が設定できる土地利用規制制度が措置された。大店立地法で生活環境への影響という観点から大型店の出店調整をし、(旧)中活法で市町村が活性化基本計画を策定し国の認定を受けて各種支援策を講じるというものである。関西で同法により中心市街地活性化基本計画を策定した自治体は、平成13〜17年の5年間で京都市・近江八幡市・西脇市・新宮市など20市19町に上る。

 しかし、2000年代には、家電量販店、総合スーパーの郊外化がさらに進む。アウトレットモールや大規模なスーパーセンター、大型ショッピングセンター(ショッピングモール)と、商業施設もその形態を進化させ消費者をとらえていく。今や大型商業施設の一つの定型となったショッピングモール(屋内に2〜3層の吹き抜けモールを有する複合商業施設)は、関西では平成14年にJR伊丹駅前に開業したダイヤモンドシティテラス(現:イオンモール伊丹)あたりが始まりだろうか。平成15年の箕面マーケットパーク ヴィソラ(現:みのおキューズモール)、平成16年のららぽーと甲子園、平成20年の阪急西宮ガーデンズなどが各地に続々と開業していった。流通戦国時代とも呼ばれ、大手流通グループ間での競争も激しくなり業界の再編も進んだ。

 まちづくり三法は、零細事業者主体の中心市街地においてはなかなかその効力を発揮しなかった。(旧)中活法では、総合的に管理するTMO(タウンマネジメント機関)の存在が前提とされたが、人材や財源の不足、合意形成に手間取って事業実施が滞ったり、活性化策も従来の域を出ないなど、課題が多かった。

都市再生特別措置法

 まちづくり三法に続き、平成14年には都市再生特別措置法が制定される。経済戦略会議の答申により、日本経済の再生には都市再生が重要との認識からである。内閣が策定した都市再生基本方針の下、大都市にターゲットを当てて都市再生緊急整備地域を指定し、土地利用規制の緩和や金融支援などによる民間活力を活用した都市再生が目指された。都市再生緊急整備地域内に設定される都市再生特別地区では、用途・容積率・高さなどの建築制限が緩和され、高度利用を可能にするという都市計画の特例が定められた。

 関西では、都市再生緊急整備地域が平成14年時点で11地域(現在は16地域)、都市再生特別地区が平成18年時点で大阪駅地区など大阪駅周辺・中之島・御堂筋周辺地域で6地区、神戸三宮駅南地域、高槻駅周辺地域で計8地区(現在は20地区)が指定された。商業施設では、大阪ステーションシティ(平成23年)、(現)梅田阪急ビル(平成24年)、グランフロント大阪(平成25年)、あべのハルカス(平成26年)などが都市再生特別地区に建設され、新しい顔として都心に賑わいをもたらしている。

 商店街の観点では、日常生活圏を対象とする近隣型商店街やもう少し広い商圏の地域型商店街にとって、大阪のキタやミナミといった広域型商業集積地は競合関係にあり、都市再生による広域型商業集積地の集客力の強化は、商店街衰退のさらなる要因にもなっているものと推察される。

改正まちづくり三法

 平成16年には、総務大臣が中心市街地の活性化が図られていると認められる市町は少なく改善が必要との勧告を出し、まちづくり三法は改正されることになる(平成18年)。

 (旧)中活法は「中心市街地の活性化に関する法律」((現)中活法)へと名称が変更され、商業振興策だけでなく、街なか居住や都市福利施設の整備も支援し、中心市街地の都市機能の増進と経済活力の向上を図る総合的な支援法に変更された。国・地方公共団体・事業者の責務が規定されたほか、国による「選択と集中」が強化され、内閣総理大臣による基本計画の認定制度の創設、推進主体としての中心市街地活性化協議会の法制化がなされ、各種支援措置も強化された。関西で(現)中活法による中心市街地活性化基本計画の認定を受けているのは、和歌山市・宝塚市・奈良市・大津市など19市である。(旧)中活法による中心市街地活性化基本計画は効力を失ったが、(現)中活法でも再び認定を受けたのは川西市・草津市および東近江市(旧八日市市)・長浜市(旧虎姫町・旧木之本町・旧高月町)に留まり、その顔ぶれは大きく変わっている。

 まちづくり三法の改正では、都市計画法も改正された。延床面積1万㎡を超える大型小売店舗などの大規模集客施設の立地を商業地域・近隣商業地域・準工業地域に制限するもので、第二種住居地域・準住居地域・工業地域、市街化調整区域・非線引き地域も原則として出店不可となり、大型店の郊外出店は強く規制されることになった。

 大店立地法については、大型店が配慮すべき指針の改定と深夜営業への配慮や大型店の社会的責任などを求めるなどの改正がなされた(平成17年)。

コンパクトシティと立地適正化計画

 上記のような中心市街地の活性化と表裏一体で語られ、目指すべき都市構造と考えられるようになってきたのが、コンパクトシティ(集約型都市構造)である。市街地のコンパクト化とともに、公共交通への転換による自動車交通の低減で低炭素都市化にも寄与することから、2000年代にはエコ・コンパクトシティと呼ばれることもあった。

 平成26年の都市再生特別措置法の改正では、このコンパクトシティ化を具体的に推進すべく「立地適正化計画」制度が創設された。ここでは「コンパクト・プラス・ネットワーク」が目指されている。制度創設の背景にあるのは、中心市街地の活性化だけでなく、平成22年前後から人口減少局面に入ったわが国において、将来に渡って都市機能や生活サービス機能を維持できる人口密度以上の市街地による持続可能な都市の形成である。全国で440都市が計画作成に取り組んでおり、うち186都市が既に作成・公表している。関西では、策定全国第一号の箕面市をはじめ38市が作成・公表済みであり、22市が取り組み中である(平成30年12月末日時点)。

中心市街地活性化の成果と新たな萌芽

 以上のように、平成という時代を中心市街地という視点から眺めると、正に苦悩の30年がそこにある。(現)中活法や立地適正化計画策定の効果が見えるのにはまだ時間がかかるであろう。地価の下落によりタワーマンションやいわゆる駅近マンションの建設が進み、人口の都心回帰は見られる。ただ筆者らが平成25年に実施した調査では、こうした新築マンションへの移住者・移住世帯は近傍の既存商店街を利用するという生活行動を取っておらず、生活必需品の買い物はスーパーマーケットあるいはデパートの地下で済ませ勤務先と自宅を往復するという効率重視の生活をしていた。

 単に中心市街地に人を住まわせるのでなく、都市的生活を享受できる魅力的な都市空間としていく努力を怠ってはならない。商店街には、従来の業態である物販での再興ではなく、高齢者向けサービス、交流、シェア・エコノミーなど、新たな担い手を巻き込んだ、時代を先取りするイノベーティブな新陳代謝を求めたい。空き店舗のリノベーションなど、個人の零細事業でも始められるという小回りのきく商店街の特性を、これからの変革に向けて活用したいものである。

 新雅史著『商店街はなぜ滅びるのか』(平成24年・光文社新書)によれば、今日私たちの言う「商店街」は第1次世界大戦後に都市に零細小売商が急増したことが成立の発端である。「多くの人々が農業をやめて都市に出てきたが、彼らを吸収するほどには都市には雇用がなかった。だからこそ、多くの離農者が商売を営んだわけだ。」(同書p.53)。その後、協同組合・百貨店・公設市場の要素を取り入れ生活共同体としての商店街が成立したという。「平成」は、この商店街を中核とする中心市街地が、モータリゼーションによる郊外化と流通革命によって疲弊・衰退し、都市構造に大きな変革を生じた時代である。中心市街地活性化、都市再生が重要課題となり、タワーマンション建設などによる都心回帰が起こっているが、さらに人口減少時代にあって都市の在り方が改めて問い直されている。正にわが国の都市の死と生が論じられるべき時代と言える。

 これらの問題は、わが国全体で起こっている構造的問題である。そのため、本稿では全国の流れを追いつつ、関西に言及するという記述方法を採る。以下、時代の流れに沿って「平成」という時代を振り返ってみる。

大店法改正前夜

 商店街の衰退は「平成」以前からの課題であった。衰退の原因の一つは、流通革命により台頭した大規模小売店舗(百貨店や総合スーパー[GMS])との競合である。そのため、昭和48年には「消費者の利益の保護に配慮しつつ、大規模小売店舗の事業活動を調整することにより、その周辺の中小小売業者の事業活動の機会を適正に保護し、小売業の正常な発展を図ることを目的」とした『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大店法)』が制定され、大型店の出店を調整するしくみが作られた。しかし、平成に入って間もない平成2年の日米構造協議において、大店法は非関税障壁であり廃止すべきとの要求がアメリカから出された。同法は翌3年に改正され、出店調整のしくみであった商業活動調整協議会が廃止されたことにより、各地で大規模なショッピングセンターの出店が進んだ。この時期、関西では昭和60年にグンゼ尼崎工場の跡地に「つかしん」がオープンしている。産業構造の転換による工場跡地などの大規模遊休地の発生も大規模ショッピングセンターの立地を促進した。

 商店街を衰退させたもう一つの原因が、モータリゼーションと郊外化の進展により1970年代から見られ始めた郊外幹線道路沿道でのロードサイド店舗の増加である。平成に入りバブル経済が崩壊すると、土地神話の崩壊・地価の下落が起こり、郊外のロードサイドにはコンビニエンスストア、量販店、ホームセンター等、さらに多種・多数の店舗が立地していった。

まちづくり三法

 大店法はその後WTO協定違反との疑いも出て平成12年には廃止され、代わって『大規模小売店舗立地法』(大店立地法)が制定される。それに先立つ平成10年の都市計画法の改正と『中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律』((旧)中活法)の施行は総称して「まちづくり三法」と呼ばれ、中心市街地活性化のてこ入れが目論まれた。

 改正都市計画法では、市町村が大型店の立地を制限する必要があると判断すれば、特別用途地区や特別用途制限地域が設定できる土地利用規制制度が措置された。大店立地法で生活環境への影響という観点から大型店の出店調整をし、(旧)中活法で市町村が活性化基本計画を策定し国の認定を受けて各種支援策を講じるというものである。関西で同法により中心市街地活性化基本計画を策定した自治体は、平成13〜17年の5年間で京都市・近江八幡市・西脇市・新宮市など20市19町に上る。

 しかし、2000年代には、家電量販店、総合スーパーの郊外化がさらに進む。アウトレットモールや大規模なスーパーセンター、大型ショッピングセンター(ショッピングモール)と、商業施設もその形態を進化させ消費者をとらえていく。今や大型商業施設の一つの定型となったショッピングモール(屋内に2〜3層の吹き抜けモールを有する複合商業施設)は、関西では平成14年にJR伊丹駅前に開業したダイヤモンドシティテラス(現:イオンモール伊丹)あたりが始まりだろうか。平成15年の箕面マーケットパーク ヴィソラ(現:みのおキューズモール)、平成16年のららぽーと甲子園、平成20年の阪急西宮ガーデンズなどが各地に続々と開業していった。流通戦国時代とも呼ばれ、大手流通グループ間での競争も激しくなり業界の再編も進んだ。

 まちづくり三法は、零細事業者主体の中心市街地においてはなかなかその効力を発揮しなかった。(旧)中活法では、総合的に管理するTMO(タウンマネジメント機関)の存在が前提とされたが、人材や財源の不足、合意形成に手間取って事業実施が滞ったり、活性化策も従来の域を出ないなど、課題が多かった。

都市再生特別措置法

 まちづくり三法に続き、平成14年には都市再生特別措置法が制定される。経済戦略会議の答申により、日本経済の再生には都市再生が重要との認識からである。内閣が策定した都市再生基本方針の下、大都市にターゲットを当てて都市再生緊急整備地域を指定し、土地利用規制の緩和や金融支援などによる民間活力を活用した都市再生が目指された。都市再生緊急整備地域内に設定される都市再生特別地区では、用途・容積率・高さなどの建築制限が緩和され、高度利用を可能にするという都市計画の特例が定められた。

 関西では、都市再生緊急整備地域が平成14年時点で11地域(現在は16地域)、都市再生特別地区が平成18年時点で大阪駅地区など大阪駅周辺・中之島・御堂筋周辺地域で6地区、神戸三宮駅南地域、高槻駅周辺地域で計8地区(現在は20地区)が指定された。商業施設では、大阪ステーションシティ(平成23年)、(現)梅田阪急ビル(平成24年)、グランフロント大阪(平成25年)、あべのハルカス(平成26年)などが都市再生特別地区に建設され、新しい顔として都心に賑わいをもたらしている。

 商店街の観点では、日常生活圏を対象とする近隣型商店街やもう少し広い商圏の地域型商店街にとって、大阪のキタやミナミといった広域型商業集積地は競合関係にあり、都市再生による広域型商業集積地の集客力の強化は、商店街衰退のさらなる要因にもなっているものと推察される。

改正まちづくり三法

 平成16年には、総務大臣が中心市街地の活性化が図られていると認められる市町は少なく改善が必要との勧告を出し、まちづくり三法は改正されることになる(平成18年)。

 (旧)中活法は「中心市街地の活性化に関する法律」((現)中活法)へと名称が変更され、商業振興策だけでなく、街なか居住や都市福利施設の整備も支援し、中心市街地の都市機能の増進と経済活力の向上を図る総合的な支援法に変更された。国・地方公共団体・事業者の責務が規定されたほか、国による「選択と集中」が強化され、内閣総理大臣による基本計画の認定制度の創設、推進主体としての中心市街地活性化協議会の法制化がなされ、各種支援措置も強化された。関西で(現)中活法による中心市街地活性化基本計画の認定を受けているのは、和歌山市・宝塚市・奈良市・大津市など19市である。(旧)中活法による中心市街地活性化基本計画は効力を失ったが、(現)中活法でも再び認定を受けたのは川西市・草津市および東近江市(旧八日市市)・長浜市(旧虎姫町・旧木之本町・旧高月町)に留まり、その顔ぶれは大きく変わっている。

 まちづくり三法の改正では、都市計画法も改正された。延床面積1万㎡を超える大型小売店舗などの大規模集客施設の立地を商業地域・近隣商業地域・準工業地域に制限するもので、第二種住居地域・準住居地域・工業地域、市街化調整区域・非線引き地域も原則として出店不可となり、大型店の郊外出店は強く規制されることになった。

 大店立地法については、大型店が配慮すべき指針の改定と深夜営業への配慮や大型店の社会的責任などを求めるなどの改正がなされた(平成17年)。

コンパクトシティと立地適正化計画

 上記のような中心市街地の活性化と表裏一体で語られ、目指すべき都市構造と考えられるようになってきたのが、コンパクトシティ(集約型都市構造)である。市街地のコンパクト化とともに、公共交通への転換による自動車交通の低減で低炭素都市化にも寄与することから、2000年代にはエコ・コンパクトシティと呼ばれることもあった。

 平成26年の都市再生特別措置法の改正では、このコンパクトシティ化を具体的に推進すべく「立地適正化計画」制度が創設された。ここでは「コンパクト・プラス・ネットワーク」が目指されている。制度創設の背景にあるのは、中心市街地の活性化だけでなく、平成22年前後から人口減少局面に入ったわが国において、将来に渡って都市機能や生活サービス機能を維持できる人口密度以上の市街地による持続可能な都市の形成である。全国で440都市が計画作成に取り組んでおり、うち186都市が既に作成・公表している。関西では、策定全国第一号の箕面市をはじめ38市が作成・公表済みであり、22市が取り組み中である(平成30年12月末日時点)。

中心市街地活性化の成果と新たな萌芽

 以上のように、平成という時代を中心市街地という視点から眺めると、正に苦悩の30年がそこにある。(現)中活法や立地適正化計画策定の効果が見えるのにはまだ時間がかかるであろう。地価の下落によりタワーマンションやいわゆる駅近マンションの建設が進み、人口の都心回帰は見られる。ただ筆者らが平成25年に実施した調査では、こうした新築マンションへの移住者・移住世帯は近傍の既存商店街を利用するという生活行動を取っておらず、生活必需品の買い物はスーパーマーケットあるいはデパートの地下で済ませ勤務先と自宅を往復するという効率重視の生活をしていた。

 単に中心市街地に人を住まわせるのでなく、都市的生活を享受できる魅力的な都市空間としていく努力を怠ってはならない。商店街には、従来の業態である物販での再興ではなく、高齢者向けサービス、交流、シェア・エコノミーなど、新たな担い手を巻き込んだ、時代を先取りするイノベーティブな新陳代謝を求めたい。空き店舗のリノベーションなど、個人の零細事業でも始められるという小回りのきく商店街の特性を、これからの変革に向けて活用したいものである。

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